M&Aというと複雑な取引プロセスを遂行すること自体が高度なスキルとして注目されがちだが、M&A自体は企業にとってプラスにもマイナスにもなりうる諸刃の剣だ。したがって重要なのはただM&Aを遂行することではなく、それを「良いM&A」にするための原則論である、ということについて前回の記事で詳しく書いた。
今回は「良いM&A」を支える原則論とは何であるのかについて、特に見過ごされがちであると感じるポイントを3つほど取り上げたい。
1. 固有名詞の前に一般名詞
最終的には「誰を買うのか」という固有名詞(ターゲット企業)をもちろん絞り込む必要があるのだが、その前にまず「何を買うのか」という一般名詞を明確にすることが大切である。
一口にM&Aといっても、本質的に買い手が「何を買っているのか」は案件によって大きく異なる。単に既存事業における売上規模の成長加速を目的としている場合もあれば、全く新しい市場への橋頭堡を求めている場合、特定の技術・IPを確保したい場合、更にはタレント獲得が主目的である場合(いわゆるacqui-hiring)などもある。
M&Aを通じた価値創造に成功している企業の多くは、自社が中長期的に目指す戦略的な絵姿を見据えた上で、足りないパズルのピースを淡々と埋めていくような形で買収を進めている(参考)。極端に言えば、戦略上の空白にうまく嵌まるピースでさえあれば、固有名詞としての買収先は誰でも良いという考え方である。特定の1社に惚れ込み、無我夢中で買収を目指す「乾坤一擲の大型M&A」は一般的に上策ではない。
たとえば日本におけるM&A上手な経営者として筆頭に挙がる永守重信氏は、常に「いつか買収したい候補企業」のロングリストが頭にあり、毎年初にリスト上のすべての社長に手紙を送っていたという。もちろんこれらすべての企業を買収できると考えている訳ではなく、長い目で見てその中の何社かが実際に買収に至ればよい、というスタンスである。
これはいわゆる恋愛上手な人が「男(女)なんて星の数ほどいる」と言ってはばからないのと同じ構図だ。逆にすぐ「この人以外考えられない」と言い出す人は、往々にしてダメ男(女)にも入れ上げて疲弊してしまいがちであったりする。
恋愛はさておき、M&Aにおいて「何を買うのか」という本来の目的を見失い、「どうしてもこの会社を買いたい」という思いが膨らんでしまうのは本末転倒でしかない。固有名詞ありきでデューデリジェンス(DD)を進めると、無意識的に(あるいは意識的に)取捨選択されたポジティブな情報ばかりが強調され、着々と高値掴みの土台が固められていくことになる。
2. ベストオーナーによる買収
全く同じ事業も、誰がオーナーとなるかによってその企業価値は変化しうる。例えばスタートアップにはスタートアップ特有の戦い方を熟知したVCのような投資家がフィットしやすいし、海外展開のポテンシャルが高い事業であれば海外向けの販路を持つ企業に買収されることで成長が加速することもある。
このように、あるターゲット企業の価値を最大化させられる買い手をベストオーナー(またはナチュラルオーナー)と呼ぶ。
もちろんこれは理論上の概念であり、「誰がオーナーになると企業価値がいくらになるか」を事前に正確に把握することは不可能である。にもかかわらず「良いM&Aとはベストオーナーによる買収である」という大原則は、それを念頭に置くだけでM&A戦略にまつわる誤解の多くを取り除ける非常に有用な考え方である。
第一に、バリューアップの要諦は「オーナーがターゲットに何を与えられるか」であることを肝に銘じさせてくれる。
前述した通り、買収先選びにおいては「何を得たいのか」を明確にすることが重要だが、ひとたびターゲットを定めてバリューアップ仮説を練る段階となったら真逆の視点に立つ必要がある。つまり「オーナーとしてターゲットに何を与えられるか」という発想である。あくまで自社の手札を見つめながらバリューアップ仮説を組み立てるのであれば、そこに妄想・幻想が入り込む余地は少ない。
逆に、バリューアップの根拠をターゲット側に求めてしまうのは危険だ。ターゲット企業は買収前のオーナー候補にとってしょせん「他社」なので、DDをどれほど精緻に行おうと、バリューアップの本質的な源泉を正確に見極めることは難しい。そんな中で買収プレミアムを正当化しようとすれば、ここでもまたポジティブな情報の拾い上げが横行し、高値掴みに向かって突き進んでいくことになる。
第二に、M&A取引を売り手と買い手間のゼロサムゲームではなく、皆で最適解を追求するプラスサムゲームとして捉えることができる。
売り手(およびFA)は値段を吊り上げ、買い手はそれを下げようとする、という二項対立の構造で捉えると、M&A取引は壮大な騙し合い・化かし合いということになる。しかしあくまで取引全体を俯瞰すると、生まれる価値全体の大きさを左右するのは「いくらで売れたか」ではなく「誰が買ったか」である。
どれほど高い金額でビッドしてきた買い手がいたとしても、それがベストオーナーとしての確固たるバリューアップ戦略に裏打ちされたものでなければ待っているのは減損リスクであり、ターゲット企業にとっても不幸な未来だ。その意味でビッド金額とは二義的なものでしかなく、DDや入札とは「誰がこの事業のベストオーナーなのか」を皆で探り当てるプロセスであるとさえ言えるだろう。
裏を返せば買い手としては、自社がターゲットのベストオーナーではないと判断できた時点で、理論的には入札する必要すらない。真のベストオーナーがターゲットの価値を見誤るというミスが無い限り、ベストオーナー以外の入札者がたどり着くのは①入札準備の労力を散々費やしたあげくに落札できず終わるか、②無理な高値掴みで減損する、という2つのシナリオのどちらかにしかならないからだ。
3. 痛みを伴うPMI
2つの異なる企業を1つのグループないし1つの企業に統合するM&Aは、そもそもの定義からして「無茶な試み」であり、痛みを伴ってしかるべき活動である。めでたく買収成立したのであとは現場でよしなに頑張るべし、というマインドセットでは絶対に上手くいかない。
非常に良くありがちなのは、子会社に対して思いつくままに「報告」ばかりを求めることである。突き詰めるとそこにあるのは「上から聞かれた時に答えられるように」といった理由にならない理由ばかりであり、それらの要求が積もり積もって子会社にどれだけの負担を強いているかという想像力が欠けている。
ハンズオンであろうとハンズオフであろうと、まっとうな子会社マネジメントは必ず親会社側に痛みを強いるものだ。
徹底したハンズオン型のPMIで成果を出している企業としては、米国のダナハー・コーポレーションが世界トップクラスのお手本として挙げられる。同社は事業会社でありながら、実質的に「主力事業は企業再生」であると言ってよい。様々な製造業を買収しては、トヨタ生産方式を源流とする生産性改善ノウハウを注入し、飛躍的に企業価値を向上するという事業モデルを確立している。
このようなスタイルの子会社マネジメントに、「放っておいても子会社が自力でそれなりの業績を上げてくれる」という甘い期待は介在しない。むしろ放っておけばアンダーパフォームするような企業だからこそ、自分たちが乗り込んだ際の企業価値の伸びしろに目を付けて買収しているのだ。もちろんそれは字面ほど簡単なことではなく、既存のやり方に染まった企業を改革していくということには当然ながら相応の痛みが伴う。
逆に、日本で言えば日本電産やリクルートのように、ハンズオフ・権限移譲を大切にしながらM&A巧者として知られる企業も存在する。このタイプの企業は、子会社の経営者との間で結果責任だけはきわめて明確に線引きするが、そこに至るまでに過程については基本的にほぼ口を出さない。
このような「権限移譲」は、いわゆる「放任」とは似ているようで全く異なる。結果責任を線引きするとはつまり、子会社経営者との間で「このKPIを満たせなければ辞めてもらう」というシビアな取り決めを交わすことであり、親会社の関係者には「子会社への細かな口出しは無用、その代わり任命責任は事業責任者が負う」と啖呵を切ることに等しい。
それで全ての事業が上手く行けば良いが、どんなM&A巧者であっても全ての投資事業が成功する訳ではない。投資先の雲行きが怪しい状況においても、とりあえずの報告を求めたり付け焼刃のテコ入れ策を編み出して表面的な経営監督のアリバイを作るのではなく、あくまで最初に合意した線引きに従って子会社経営者に命運を託すことが肝となる(また遡って言えば、そもそもそれほどの信頼を置けるようなレベルの高い経営者を見つけてくることが必須条件となる)。それはハンズオン型とはまた違う意味での「痛み」だ。
いずれのスタイルにも共通するのは、子会社経営を親会社の責任として捉えるごく当たり前の姿勢である。しかしながら、まだまだ「当たり前」が「当たり前」でないのが多くの事業会社におけるM&Aの現実だ。