経営資源の配分は、個別事業の戦略とは異なり複数事業をまたがる全体最適の視点が求められるという意味で、まさに企業戦略の根幹をなす意思決定である。
理想的な経営資源配分とはどんなものかと条件を挙げるならば、まずはとにかく「不均等」であることが大切だ。つまり有望な事業領域にヒト・カネを集中投下し、そうでない領域には予算を絞るということである。
これはサラッと書くと当たり前のことのようだが、現実の企業経営における経営資源配分の「不均等さ」は、まだまだ不十分だ。それは企業の組織力学が、本質的に「均等」な資源配分を指向するためである。
したがって(特に上場企業の)経営者には、「基本的に企業組織には『均等な資源配分』を求めるバイアスが掛かっている」という認識を持った上で、意識的に「不均等さ」を追求する姿勢が求められる。
なぜ経営資源配分は不均等であるべきか
不均等な経営資源配分、つまり選択と集中の大切さは、複数の角度から説明が可能だ。
まずはいわゆるパレートの法則(80:20の法則)である。この法則は企業活動にもおおよそ当てはまることが分かっている。
これについて今さら詳しい説明は不要だろう。多くの場合、ある企業の収益の大半を支えているのは一部のスター事業なので、そこに経営資源を集中投下した方が良いというシンプルな論理だ。
マッキンゼーの分析によれば、企業の経済的付加価値が飛躍的に伸びる蓋然性が高いのは、すべての事業が一律に成長したときではなく、1つか2つの事業が著しく成長したときであるということも判明している。
選択と集中の大切さに関しもう一つ見落とされがちな観点としては、「競合の存在」が挙げられる。
自分たちと同じくらい優秀な人たち(競合他社)が、基本的には同じ業界構造の中で、自分たちと同じくらい色々考えているはず、という真実を忘れてはいけない。
そして資本主義下の企業活動において、経済的付加価値は競合に勝ったときにしか生まれない。むしろ世の中の経済的付加価値の大半は、競合に何馬身もの差を付けた一部の勝ち組企業が生む構造になっており、「ちょっと勝った」くらいでは残念ながら大勢に影響はない。
したがって、競合と横並びの域から抜け出せないような「そこそこ」の資源投入では、大した経済的付加価値は生み出せないということになる。せっかく予算を付けるなら徹底的に、その分野で競合と圧倒的な差を作れるくらいの元手を与えなければ意味が薄いのだ。
組織力学は均等な経営資源配分を志向する
上記の通り経営資源配分は不均等であるべきにもかかわらず、なぜ実際には均等に近い「薄く広く」の配分になっている場合が多いのか。それは企業における組織力学が、均等な経営資源配分を引き寄せる性質を持っているからだ。
第一に、各事業の責任者は誰も自分の事業を負け組と分類されたくない。したがって、落ち目の事業も何らかの「希望の光」があると社内プレゼンし、それなりの予算を勝ち取るということがしばしば起こる。
「外」の戦いで競合に勝つためには本来むしろ「俺のところはいいから、強い事業に資源を振ってくれ」という態度が求められるのだが、人々の意識が「内」の戦い、つまり社内で負け組となることをいかに避けるかという問題の方に向いていると、資源配分はどんどん均等に近づいていく。
ケースによっては企業トップの側さえも、その方が社内が丸く収まるということで、明らかな負け組を作らないような予算配分を志向してしまっている。
第二に、「事業」を評価する際の粒度が粗すぎるせいで、そもそもどこに選択・集中すれば良いかがほとんど見えていない場合も多い。
私が以前に在籍した総合商社も全社で数百の投資機会を抱えていたはずだが、投資予算はまず7つ程度の部門に配分され、それが部門の下の本部、本部の下の事業部という順序で配分されることが多かった。
実態として数百ある投資機会をたった7つのバケツにまとめてしまえば、当然ながら「今年はここの分野が熱いので予算多め」「ここの分野は潮目が悪いので少なめに」という粗いレベルの議論にしかならない。精緻な投資リターンの分析が無いからこそ、大胆な選択と集中に踏み切れず、各部門がそれなりに納得しやすいマイルドな配分に落ち着いてしまうのだ。
経営者の役割
上記のように、企業組織が経営資源配分のあるべき姿とは真逆に向かってしまう性質を構造的に抱えているからこそ、意識的にあるべき姿へと判断を引き戻す役割が経営者には求められる。
もちろん、選択と集中の判断が「当たり」になる10年前の日立のような例もあれば、「外れ」に終わる東芝のような例もあり、リスクは避けて通れない。しかし均等な経営資源配分という実質的な無為無策により「マイルドだが確実な死」を坐して待つより、少なくとも期待値は高い。
参考:『マッキンゼー ホッケースティック戦略―成長戦略の策定と実行』